中国:つくられたオープンワールドゲーム
多くの人は「中国」を不変の存在だと思い込んでいる。五千年の歴史、連綿と続く文化、揺るぎないアイデンティティ。ところが、よくよく確かめてみると、「中国」そのものが近代に作られた概念だと分かる。梁啓超の世代は近代国家の潮流に追いつくため、「中華民族」という概念を寄せ集め、それをテンプレートにして今日の「中国」を仕立て上げた。
一 発明から空欄埋めへ
梁啓超、章太炎、孫文といった知識人は、帝国の崩壊期にいた。列強と渡り合うにはモダンな「国家」物語が要る。そうして産み出された集合体が「中国」である。この発明に厚みのある歴史はなく、対外的圧力に抗するために急ごしらえされた「想像の共同体」に過ぎなかった。
その後は学者、史官、宣伝家が世代を超えて空欄を埋めていく。
五千年の歴史が編み上げられ、
「中華民族」は永遠不滅の存在に設定され、
古代の分裂や征服、雑種化の過程は、ことごとく一つの統一物語に捻じ込まれた。
こうして出来上がったのが「中華史」である。論理や真実性など二の次で、空欄さえ埋まればよいという試験問題のように構築された。
二 ゲームとしての世界観
この「中華史」が半ば完成した商品だったとすれば、共産党政権はそれを完全なオープンワールドゲームに仕上げてしまった。
ゲーム設定:共産主義は至高の使命、中華民族は永遠のアイデンティティ、中国は分割不可能な全体。
ゲームマップ:十八省、辺境、海域まですべて一枚のマップに描き込まれている。
ゲームの NPC:十数億人が、「生活・身分・思考はこの世界観の中で完結すべきだ」と教え込まれる。
ゲームのシナリオ:抗日、解放、復興——各章はすでに台本が用意され、プレイヤーはその筋書きをなぞるしかない。
中国人はまるで『サイバーパンク 2077』『GTA』『レッド・デッド・リデンプション』のような世界で暮らしている。違うのは、そちらはあくまでビデオゲームだが、こちらは現実という装いをまとっている点だ。
三 空中楼閣という本質
「中国」というオープンワールドは、突き詰めれば空中楼閣にすぎない。
真の歴史的根拠はなく、近代に造られた概念であり、
自然な文化的連続性はなく、宣伝と暴力で維持され、
固有のアイデンティティもなく、外部に依存しながら背反と改訂を繰り返す。
それでも人々はこの虚構世界で生涯を費やす。憎み、崇め、戦い、耽溺し、自らをゲームのキャラクターだと信じ込む。ここが人工的な台本にすぎないことを忘れて。
四 結語
いわゆる「中国」とは、梁啓超が発明し、後世の知識人が補強し、共産党が完成させたオープンワールドゲームである。
地図もシナリオも設定もあるが、根はない。
中国人はその内部で生きる。まるで NPC が仮想世界に閉じ込められているように。真剣で、ひたむきで——だが、人生が台本の一部に過ぎないと気付くことはない。
最大の皮肉はここにある。十数億人が現実に生きていると思い込みながら、実際には作り上げられたゲームに閉じ込められているのだ。